築城年代は定かではない。
元亀3年(1572年)加賀・越中の一向一揆が東進して火宮城を攻め落とし富山城を占拠すると、上杉氏の部将河田長親がここに陣を構えた。
天正6年(1578年)上杉謙信が急死した後、織田信長に仕えていた神保長住が越中に入国すると、長住は津毛城に入り、斎藤新吾利治が太田本郷城に陣を構えた。 織田軍は今泉城に籠もっていた上杉方の椎名・河田氏を攻め、城下に火を放ち月岡野で上杉方と戦い勝利した。
太田本郷城は現在の圓光寺付近に築かれていたという。 規模は不明であるが発掘調査によって堀跡が検出され、史料と時代が一致する土器も出土したという。
どうやら近くに石碑と案内板が設置されているようですが、気づきませんでした。 また近くに行った際に探します。