築城年代は定かではない。応安2年・正平24年(1369年)室町幕府に反抗した桃井直常方の軍勢が立て籠もっていた一乗之城を、幕府方の吉見氏が攻め落としたことが知られている。
天正12年(1584年)佐々成政が加賀の前田利家を攻めたときには、佐々成政の家臣杉山小助が城主であった。
一乗寺城は加賀国(石川県)と越中国(富山県)との境に近い標高279mの枡山山頂に築かれている。現在は市指定史跡となっており遊歩道が設けられている。
一乗寺城は東西に伸びた山頂に曲輪を配し、南は高い切岸、西は深い空堀によって防御している。
主郭は山頂にあり、西側に向かって二郭、三郭と土橋を残して南北に堀込を入れて区画している。西端の三郭は深い空堀に面して土塁を設け、北に虎口を開く。虎口は北下の外桝型から切岸に面した犬走を通り、さらに土塁のスロープを使って降りる構造で、常に横矢が掛かる。
主郭から東側は階段状に平段が続いているが、こちらは整備されておらず笹藪になっている。途中まで降りたのだが、雨量が増し、傘もさして歩けないほど薮化していたので途中までしか遺構を確認できていない。
曲輪の南側斜面は高い切岸のみの防御であるが、北側には雛壇状に帯曲輪が配され、竪堀によって部分的に遮断しているようである。
県道214号線が石川県河北郡津幡町北横根と富山県小矢部市八伏をまたいで通っている。この峠の上から南へ通じている車道の入口に一乗寺城への道標が出ている。この道を南下すると無線中継施設の方に向かうが、その途中から枡山に向かう林道がある。この入口に駐車できる。
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