詳細不明。 源氏ヶ嶺の名の由来は寿永2年(1183年)の源平合戦に由来するものであるが、現在残っている城の縄張りは戦国時代のもので、佐々成政によるものと推測されている。
源氏ヶ嶺城は加賀と越中の国境で、古来より街道があった倶利伽羅峠から南東1km程の源氏ヶ嶺山頂に築かれている。
現在は倶利伽羅峠から続く車道脇に登り口があり、遊歩道が設けられて、わずか数分で山頂に至ることがでるが、残念ながら草刈りされているのは山頂までの遊歩道のみで、そこから東西に拡がる城跡は深い下草に覆われ、散策は断念した。
「中世城郭辞典」や「富山県中世城館遺跡総合調査報告書」に掲載されている縄張図では、山頂を中心に東西に曲輪が広がり、主郭と見られる石碑の建つ曲輪の西側の曲輪には折れを伴う複雑な虎口と櫓台、北側には土塁が設けられている。