寿永2年(1183年)木曽義仲の軍を迎え撃つ為に平家軍によって築かれた砦がはじまりと云われる。その後、正平6年(1351年)富樫氏春が籠って桃井直常と戦った。
天正11年(1583年)前田秀継が築城し居城とした。翌天正12年(1584年)末森城合戦の時、ここで前田利家と秀継は末森城救済の軍議を開いた。翌天正13年(1585年)前田秀継は越中国今石動城の守将となり、後に越中国木舟城へ移ったが、地震により没した。
城は「オオニシヤマ」と呼ばれる比高15m程の丘陵に築かれており、現在は津幡小学校が建っている。小学校建設により遺構は消滅したが、校内に石碑と案内板がある。