備前 福岡城びぜん ふくおかじょう

城郭放浪記


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備前 福岡城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
なし
城 主
頓宮四郎左衛門,佐々木氏,山名氏,赤松氏
歴 史

築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に頓宮四郎左衛門によって築かれたと云われる。

建武3年(1336年)足利尊氏が九州へ退いて兵を募り再び京へ攻め上った際に、新田方の頓宮四郎はこれを阻もうとして城を失った。その後は、足利方の佐々木氏、続いて赤松氏の所領となった。

観応元年・正平5年(1350年)足利直冬が少弐氏と結んで一色氏を駆逐し勢力を拡大すると、足利尊氏自ら直冬討伐の兵を率いて西進し、福岡城にて四十日余りを過ごした。

嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱により赤松氏が没落すると山名教之が備前守護となり、守護代として小鴨大和守が福岡城に入った。応仁の乱で再興した赤松政則が文明元年(1469年)福岡城を攻略した。

文明15年(1483年)赤松氏の被官で金川城主の松田元成がかねてより横領していたことから、赤松正則は浦上則国に元成の討伐を命じた。松田元成は秘かに通じていた山名氏に援軍を要請し、浦上則国が籠もる福岡城を攻め五十日余りの籠城の末、攻め落とした(福岡合戦)。 勢いにのる松田元成は浦上氏の居城三石城をも攻略せんと攻め寄せたが敗れ、自刃して果てた。

その後も浦上氏が守っていたが、大永年間(1521年〜1528年)の大洪水により廃城となった。

説 明

福岡城は現在の長船町福岡付近の吉井川に築かれていたと考えられている。 現在長船カントリークラブの中にある丘陵と、対岸の寺山にある丘陵(本城山)が福岡城に関係する地となっているが詳らかではない。

長船カントリークラブのクラブハウス脇に「福岡城跡の丘」と刻まれた石碑がある。また、福岡には鎌倉時代の「一遍上人絵伝」に記された「福岡の市」、長船の名刀「福岡一文字記念碑」、妙興寺には宇喜多興家、黒田高政の墓がある。

案 内
最寄り駅(直線距離)
1.3km 長船駅
4.0km 香登駅
4.0km 邑久駅
4.9km 大富駅
5.3km 瀬戸駅
所在地/地図
岡山県瀬戸内市長船町福岡
付近の城(直線距離)
1.6km 備前 大日幡山城
1.8km 備前 吉井城
1.8km 備前 城ヶ辻城
2.1km 備前 服部丸山城
2.7km 備前 長船城
2.9km 備前 内山城
3.1km 備前 新庄山城
3.5km 備前 高尾城
3.5km 備前 肩脊城
3.9km 備前 智満城
4.1km 備前 物理城
4.6km 備前 沼城
4.6km 備前 堀城
4.7km 備前 尾張城
4.9km 備前 南方城
5.0km 備前 光明寺城
5.1km 備前 香登城
5.2km 備前 油杉城
5.4km 備前 今木城
5.7km 備前 高山城
6.0km 備前 内山城(古都南方)
6.2km 備前 大廻・小廻山城
6.5km 備前 狐塚城
6.6km 備前 熊山城
最終訪問日
2011年8月
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