天正10年(1582年)織田と毛利で備中高松城を巡る戦いがおこったとき、後詰として小早川隆景の軍勢が日差山に陣を置いていた。
日差山城は日差山の標高200m付近に築かれていた。
『岡山県中世城館跡総合調査報告書 』では現在の日差寺から少し登ったところにある標高200mの小ピークを日差山城としている。
この部分には若干削平された地形があり、列石や土塁囲み状の地形が確認できるが、城跡の遺構には見えない。
西の谷を挟んだ小ピークも確認したがこちらは自然地形、南山腹の谷筋には削平段が確認できる。
東の毘沙門天(日差寺)の参道入口に駐車可能で、日差寺経由で鷹巣城にいく登山道がある。
最寄り駅(直線距離)