築城年代は定かではないが里見氏によって築かれた。
天正10年(1582年)頃には岡本城の支城として存在していたようである。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で里見氏は豊臣方として参陣するが、里見氏が保護していた御弓公方足利氏の遺児頼淳のために鎌倉を回復しようと企て、また、惣無事令に違反した咎もあって里見氏領の上総領は没収され、安房国一国を安堵された。
これによって上総領の家臣は安房国へ引き上げることを余儀なくされる。これが居城を岡本城から館山城へ移す要因の一つとされ、天正19年(1591年)以降里見氏は館山城に居城を移した。
慶長19年(1614年)里見忠義は大久保忠隣の罪に連座する形で安房国を没収され、伯耆国倉吉に三万石で転封となり、元和8年(1622年)忠義が没すると嗣子なく里見家は断絶となった。里見氏の後、館山城は完全に破却された。