安房 館山陣屋あわ たてやまじんや
△トップに戻る
寛政3年(1791年)稲葉正武によって築かれた。
天明元年(1781年)山城国淀藩主稲葉正親の三男正明が、相模国小田原藩主稲葉正則の一族で、旗本の稲葉正福の養子となり、三千石の加増を受けて一万石となり、諸侯に列した。 その子正武の時に館山城の南麓に陣屋を築き、正盛、正巳、正善と続いて明治に至る。
現在陣屋跡は住宅地となっており明確な遺構は存在しないが、「采女井戸」、「貴美稲荷神社」そして桝形の跡とされるクランク状に残る道路が、わずかな遺構として残っている。