大内義隆供養塔(御船子)おおうちよしたかくようとう
△トップに戻る
周防の戦国大名であった大内義隆は天文20年(1551年)家臣の陶晴賢の謀叛により大寧寺に逃れて自刃した。このとき義隆の側室の子がこの地へ逃れて養雲院の住職となり、大内義隆、正室、側室を供養するたに建立したのがこの供養塔とされる。
大内義隆供養塔は国道315号線沿いに道標が出ており、これに従っていくと山道への入口がある。この道を入って行くと廃寺となった平段がありその奥を登っていくと供養塔がある。