成富兵庫頭茂安碑なりどみひょうごのかみしげやすのひ
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成富茂安は戦国時代末期の龍造寺家臣で、後に佐賀藩となる鍋島家に仕えた。佐賀藩家老となって内政に尽力し、数々の治水事業で佐賀藩の基礎を築いた人物である。寛永11年(1634年)に没し、このとき家臣七名が殉死した。
築山児童公園にある「成富兵庫頭茂安碑」は昭和に建立されたものであるが、成富茂安が没したのがこの地であり、かつては成富茂安の遺骨も埋葬されていた。現在は遺骨と遺髪は本行寺に移されているようである。