吉弘統幸の墓よしひろむねゆきのはか
△トップに戻る
慶長5年(1600年)の石垣原合戦で大友義統軍に加わって討死した吉弘統幸の墓で、現在は吉弘神社の境内となっている。社殿の裏側に吉弘統幸の墓とされる板碑があり、案内板が設置されている。
吉弘統幸は義統本陣の東側に布陣していたと云われ、細川・黒田軍を追撃し、七ツ石のあたりで討死したという。
吉弘神社参拝者用の駐車場が東側にある。