龍造寺隆信の供養塔(沖田畷古戦場跡)りゅうぞうじたかのぶのくようとう

城郭放浪記


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龍造寺隆信の供養塔(沖田畷古戦場跡)の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

龍造寺隆信は佐嘉の戦国大名であった。天正12年(1584年)反旗を翻した日野江城の有馬晴信を討伐するべく大軍を率いて島原半島へ上陸、有馬氏は薩摩の島津義久に援軍を求め、義久の弟島津家久が合流する。この沖田畷の合戦で龍造寺軍は壊滅、総大将であった龍造寺隆信は島津の武将川上忠堅に討ち取られてしまった。

「龍造寺隆信の供養塔」はこの辺りにあった祠を一箇所にまとめて昭和4年に建立されたものである。また近くの二本木神社は龍造寺の家臣のうち、この地に住み着いた人々が隆信の霊を慰めようと祠を祀ったのが始まりとされる。

龍造寺隆信の供養塔(沖田畷古戦場跡)の写真
5:龍造寺隆信供養塔
龍造寺隆信の供養塔(沖田畷古戦場跡)の写真
9:二本木神社
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.5km 三会駅
1.5km 島原駅
2.5km 島鉄本社前駅
3.2km 南島原駅
3.8km 松尾町駅
所在地/地図
長崎県島原市北門町
付近の史跡(直線距離)
2.3km 松倉重政の墓(江東寺)
2.3km 旧島原藩薬園跡
2.4km 板倉重昌の墓(江東寺)
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