長崎甚左衛門純景の墓ながさきじんざえもんすみかげのはか
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長崎純景は代々長崎の地の国衆を務めた長崎氏の当主で、大村純忠に従っていた。代々の所領が天領となったとき、長崎氏は大村氏によって替え地として時津七百石を宛がわれたがこれを受け入れず、久留米の田中吉政に仕えた。しかし、田中氏は吉政が嗣子なく没して改易となり、純景は再び大村氏を頼った。
長崎甚左衛門純景の夫妻の墓は長崎県指定史跡となっている。この墓碑は元禄15年(1702年)に純景の子孫大村内匠助長頼によって建立されたものという。