築城年代は定かではないが革島氏によって築かれたと云われる。 革島氏は佐竹源氏で鎌倉時代初期に本所近衛家から革島荘の下司職に補任され下向、革島氏を称したという。
革島城が文献に表れるのは『長享年後畿内兵乱記』に見えるのが唯一で、天文16年(1547年)細川国慶が「河島城」を攻めたと記されている。
革島城は革島春日神社一帯に築かれていた。かつては竹藪として南半分の居館敷地が残っていたというが、現在は宅地開発されており遺構はない。
神社の南側に小さな『革嶋城公園』があるが、特に案内板も設置されていない。