丹波 鹿集城たんば かたかりじょう
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築城年代は定かではないが建久3年(1192年)頃に吉見資重によって築かれたと云われる。 吉見氏は鹿集氏とも称したが、建久3年(1192年)源範頼の次男資重が鹿集荘の地頭として入部したことに始まるとされる。
天正7年(1579年)吉見則重の時、丹波国へ侵攻した明智光秀によって攻められ落城した。
城は竹田川の東岸にあり、45m四方の本丸と堀切を挟んで40m四方の二の丸があったとされるが、現在は市島中学校が建っており遺構は残っていない。
市島中学校の北の門脇に石碑が建っている。