詳細不明。城主は河崎石見守と伝えられる。
多子城は多子集落の北、比高40mほどの丘陵に築かれている。
南北に伸びた尾根の両端を堀切で遮断して、内側を城域とする。曲輪はI、III、IIと南北に並び、北端Iが主郭となる。
主郭は西端を高土塁にして、東側面を南北二段に削平してあり平坦面は非常に小さい。曲輪IIも加工が少なく面積も狭い。曲輪IIIは箱堀とも解釈できるほどの広さしかない。
この城の堀は特徴的で、堀切1、堀切5は尾根を遮断するのみで竪堀が伸びていないが、これと接続するように竪堀2、竪堀4が設けられている。これらは堀切と竪堀が違う時期に構築されたためかもしれない。
北背後を遮断する堀切9は弓形状になって先端を竪堀にしている。曲輪の切岸はしっかりしているが、その下方には緩斜面地形が残っており、この部分を処理するように間隔を開けて複数の竪堀を設けている。
堀切9の北側の尾根には河崎城と刻まれた石碑がある。
城の南側を切り通し道が通っており、ここから登るとすぐに城域に至る。入口にある民家の方は城があるのをご存知だった。