築城年代は定かではない。南北朝時代の延文元年(1356年)に奈良氏の籠もる温泉城を北朝方の今川頼貞、伊達真信などが攻撃している。
温泉城は湯村温泉の南方に聳える標高338.4mの山に築かれている。町指定史跡として遊歩道が整備されていたが、現在はあまり整備されておらず、遊歩道は荒廃しているが、遺構は見やすい状態である。
主郭は三角点のある山頂で、そこから東へ伸びた尾根にI~IVの四段の曲輪を連ねている。
曲輪IとIIの間は本来堀切であったものか、やや窪みがあり、南北両端に竪堀7と19を備えている。曲輪IIからIIIへは土橋状のスロープを介して入る構造が残り、北には竪堀6、南側も薄い竪堀状地形が確認できる。
東端の曲輪IVの先は堀切ではなく、南北両サイドに竪堀2と3を配置している。ここから東尾根を降った所に二重堀切1を設けている。
主郭から北へ下ると放射線状になった畝状竪堀群8があるが、その下方Aは堀切であった可能性がある。ただ遊歩道がこの場所を通っているので、地形の違和感はそれによる改変かもしれない。
曲輪群Vは低い段差の平段を連ねており、そこから北西と北東に伸びた尾根に堀切と竪堀を無数に配置し、北側は畝状竪堀群11となる。竪堀の起点は曲輪面のすぐ下から始まるものや、10m以上下方から始まるものなど、マチマチである。
主郭の南西下にある曲輪群VIは土塁を伴う曲輪であるが、この上部に堀切14の痕跡がある。西へ伸びた尾根は三重堀切15、さらに少し降った所に堀切16を配置している。
この城の特徴としては堀切を埋めて曲輪を拡張した痕跡が確認できることや、竪堀の脇に帯曲輪を配置するパターンが多いことがあるだろう。
湯村温泉から山の南側にある健康公園へと回り込み、その先にある ログハウスカナダを目指す。そこから北へコンクリート舗装された林道が通っており、その先に駐車スペースが有る。
遊歩道は倒木や低木が生い茂っているが、城内に入ると遺構は見やすい。
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