下野 小俣城しもつけ おまたじょう

城郭放浪記


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下野 小俣城の写真
掲載写真数
形態
山城(305m/200m)
別 名
なし
文化財指定
なし
遺 構
石積,土塁,曲輪,堀切,横堀,虎口
城 主
小俣氏,小俣渋川氏
縄張図
小俣城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。足利泰氏の子孫である小俣氏によって築かれたとも云われる。

小俣氏は足利氏の内部政争によって勢力を失い、その後は小俣渋川氏が入部した。

小俣渋川氏は古河公方、のちに小田原北条氏に従った。元亀3年(1572年)には関東へ侵攻した上杉謙信の軍勢によって攻められたが、城代石井尊空が死守してこれを撃退した。

天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で、小俣渋川氏は由良成繁、長尾顕長なとともに小田原城に籠城、竹の鼻口を守備したが、小田原北条氏の滅亡とともに小俣渋川氏も滅亡した。

説 明

小俣城は鶏足寺の北に聳える標高304.7mの城山に築かれており、現在は登山道が整備されている。

三角点のある標高304.7mの山頂に主郭があり、そこから東へ伸びた尾根に曲輪を展開している。

主郭は中央東に虎口を開き、東下から北下にかけて腰曲輪となるが、北側は横堀状である。主郭から北尾根には不明瞭な削平段が続くが堀切は見当たらない。西尾根側はやや崩れた堀切8が確認できる。

主郭から東へ堀切を挟んで曲輪II、IIIと続くが曲輪の造成は甘い。堀切5が一番低く、そこから高く東端の曲輪IVとなる。

曲輪IVの東端から北へ続く尾根には堀切4、3の二箇所、南東に続く尾根にも堀切2、1の二箇所に堀切がある。堀切2は弓なり状で西端を竪堀とする。堀切1は状さほど深くないが、幅広の堀切である。

案 内

登山道は南東麓の宝珠坊橋とカタクリ群生地の2ルートがある。 カタクリ群生地登山口はやや遠回りのようであるが、急坂がなく楽に登ることができる。

春日神社前の叶花集会所に駐車して周遊ルートを歩くのが良いだろう。

最寄り駅(直線距離)
2.4km 小俣駅
4.1km 桐生駅
4.3km 西桐生駅
5.0km 新桐生駅
5.4km 丸山下駅
主な参考文献
[増補版]とちぎの古城を歩く—兵どもの足跡を求めて(下野新聞社)
日本の中世城館調査報告書集成 関東地方の中世城館〈1〉栃木・群馬(東洋書林)(栃木県の中世城館跡)
日本城郭大系〈第4巻〉茨城・栃木・群馬(新人物往来社)
所在地/地図
栃木県足利市小俣町城山
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
0.8km 下野 小俣氏居館
2.3km 上野 細川内膳屋敷
2.6km 上野 浅間山の砦
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3.5km 上野 勘解由屋敷
3.6km 上野 彦部屋敷
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4.1km 上野 桐生陣屋
4.2km 上野 今井宿の砦
4.2km 上野 物見山の砦
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4.6km 下野 小此木氏館
4.9km 上野 茶臼山の砦
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5.0km 上野 新居屋敷
5.2km 上野 丸山砦
5.7km 上野 桐生城
6.3km 上野 小倉の砦
6.4km 上野 荻原城
6.4km 上野 丸山の砦
6.5km 上野 園田館
6.6km 上野 長岡城
6.6km 上野 小倉丸山の砦
最終訪問日
2021年5月
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