文明年間(1469年〜1487年)はじめに扇谷上杉氏の東相模における拠点として、家宰の太田道灌によって築かれたと云われる。
永正9年(1512年)北条早雲が扇谷上杉氏の家臣で岡崎城の三浦道寸を敗り、大庭城や玉縄城も北条氏の手に落ちた。
大庭城は引地川に面して南へ張り出した台地の南端に築かれている。現在は大庭城址公園として整備されている。
大庭城は南を頂点とする逆三角形状の地形をした台地に築かれており、東西に空堀を配して曲輪を形成していたようであるが、公園整備のためなのか台地の上の空堀は殆ど埋まっている。
西側の駐車場から遊歩道を登ると土塁の付いた竪堀があり、公園中央東側の森林の中に大きな空堀と土塁が隠れている。南へ進んでいくと、南端の曲輪との間にある空堀があり、これは良く残っている。さらに南端に進み下へ降りると堀切が付いている。整備されていないが、西側の山腹には帯曲輪や横堀が良く残っており、浅く埋もれていた空堀から伸びている竪堀の部分が残っている。
大庭中学校の南側の台地が城址公園で、北西側の麓に駐車場がある。そこから少し登った所に公園の管理センターがあり、その中に少し展示がある。
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