築城年代は定かではないが南北朝時代に長氏によって築かれたのが始まりとされる。 当初は砦程度の規模であったものが、戦国時代に長氏十九代長続連の時に城として整備されたとされる。
天正4年(1576年)上杉謙信が能登に侵攻して七尾城に攻め入ると長氏は七尾城に籠城し、留守であった穴水城は上杉氏によって攻略され上杉家臣長沢筑前・白小田善兵衛が守将として置かれた。
天正6年(1578年)長沢筑前が主力を率いて珠洲郡正院の一揆鎮圧へ出向いた隙に、長連龍が穴水城を攻略して一時は奪還したものの、越後勢が大挙して押し寄せた為、城を脱して越中の神保氏を頼って落ちた。連龍は後に鹿島郡半郡の所領を織田信長より得て、能登に入部した前田利家に従った。
城は七海川・小又川に挟まれた南東に伸びる尾根の南に築かれている。
現在は公園として一部が整備されている。穴水町役場からは七曲りと呼ばれる道があり、付近には一の木戸などの名が残る。
主郭近くまで車道が通じている。南の麓にある歴史民族資料館には長氏関連の展示もあり、長谷部神社は長氏の祖長谷部信連を祀ったものである。
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