長門 渡川城ながと わたりがわじょう

城郭放浪記


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長門 渡川城の写真
掲載写真数
形態
山城(352m/120m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
大内氏
歴 史

築城年代は定かではないが大内氏によって築かれたと云われる。

文明2年(1470年)応仁の乱で西軍の主力として上洛中であった大内政弘の隙を突いて、東軍方の誘いに応じた大内道頓(教幸)が挙兵した。このとき政弘は乱鎮圧のため陶弘護を帰国させ、弘護はこの渡川城で道頓と戦って撃退、道頓は豊前国馬ヶ岳城へ逃れたがここで自害し乱は鎮圧された。

弘治3年(1557年)安芸の毛利元就と石見の吉見正頼が周防に侵攻したとき、大内義長の家臣野上忠房らが渡川城の守将であったが、毛利と吉見氏によって挟撃され渡川城を破棄して退いた。

説 明

渡川城は渡川駅の西に聳える標高352mの山に築かれている。要害山あるいは城山と呼ばれる山で阿武川が大きく城山を迂回して流れており天然の濠となす。

渡川城は現在の国道9号線から北側の部分にあり、大きく北峰と南峰に分かれている。

北峰は山頂を中心に南北に大きな曲輪を配しており、北には浅い一条の堀切、南には大小の堀切が数条連続して設けている。主郭付近は切岸も高く曲輪も広めであるが、南端から東の尾根に向かって小郭が階段状に続いている。この小郭は南側に削り残しの土塁が付いている。

南峰は北峰よりやや低い。北峰が切岸も高くしっかりしているのに対して南峰は切岸は1mにも満たないものが主である。北東の尾根先から段々と造成された低い段が山頂まで続いており、山頂の西側は北東側に比べやや切岸が高く明瞭である。こちら側には堀切は見あたらない。

南峰からもう一つ南の峰にも曲輪があり、南北に段が付いている。

案 内

渡川駅の西に見える山が城山で、国道9号線沿いに登山道があり入口に案内板が設置してある。

最寄り駅(直線距離)
0.8km 渡川駅
2.3km 長門峡駅
3.5km 三谷駅
5.5km 篠目駅
6.3km 名草駅
所在地/地図
山口県山口市阿東生雲東分
付近の城(直線距離)
3.7km 長門 城平城
4.5km 長門 台ヶ原城
7.3km 長門 毘沙門山城
9.0km 周防 白水山城
最終訪問日
2013年2月
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