貞享4年(1687年)萩藩毛利氏によって築かれた。 江戸時代に萩藩毛利氏が領地を管理するために各地に築いた宰判勘場(代官所)の一つである。
奥阿武宰判勘場では阿武郡のうち、旧むつみ村、阿東町、田万川町、須佐町、阿武町(奈古を除く)を管理していた。
奥阿武宰判勘場は県道13号線の北側の一段小高くなった所に築かれている。 宰判勘場は江戸時代の代官所跡であるが、良好に残っているものはいがいと少なく、唯一発掘調査されているのがこの奥阿武宰判勘場という。
県道13号線沿いに道標が出ている。ここから一本北側の旧道に入り、西へ向かっていくと北側に宰判勘場跡がある。