長門 奥阿武宰判勘場ながと おくあぶさいばんかんば

城郭放浪記


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長門 奥阿武宰判勘場の写真
掲載写真数
形態
代官所
別 名
なし
文化財指定
県指定史跡
遺 構
石垣,井戸
城 主
毛利氏
歴 史

貞享4年(1687年)萩藩毛利氏によって築かれた。 江戸時代に萩藩毛利氏が領地を管理するために各地に築いた宰判勘場(代官所)の一つである。

奥阿武宰判勘場では阿武郡のうち、旧むつみ村、阿東町、田万川町、須佐町、阿武町(奈古を除く)を管理していた。

説 明

奥阿武宰判勘場は県道13号線の北側の一段小高くなった所に築かれている。 宰判勘場は江戸時代の代官所跡であるが、良好に残っているものはいがいと少なく、唯一発掘調査されているのがこの奥阿武宰判勘場という。

案 内

県道13号線沿いに道標が出ている。ここから一本北側の旧道に入り、西へ向かっていくと北側に宰判勘場跡がある。

所在地/地図
山口県萩市大字吉部上
付近の城(直線距離)
0.7km 長門 岡田・江良遺跡
1.2km 長門 熊山城
2.9km 長門 下城
5.6km 長門 毘沙門城
6.4km 長門 毘沙門山城
6.9km 長門 中河内山城
7.4km 長門 岩枯山城
7.8km 長門 賀年城
7.9km 長門 居坂茶臼山城
8.0km 長門 八幡山城
8.0km 長門 向迫山城
8.3km 長門 和田山城
9.5km 長門 東宗城
最終訪問日
2011年7月
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