築城年代は定かではないが戦国時代には築かれていた。
江戸時代はじめは仙台藩伊達氏家臣横尾氏が在城していたが、正保元年(1644年)に仙台藩一門格の角田要害主石川氏の所領となり、石川氏の家臣が派遣され在番していた。
湯原館は七ヶ宿街道の出羽との境に近い、現在の「街道HOTELおたて(旧湯原小学校)」の地に築かれている。
旧湯原小学校の敷地が二の丸で、その裏山山腹に本丸や東郭があり、現在は山腹部分の遺構が良好に残っている。
北背後に続く尾根を堀切1で遮断し、その南側を城域とするが、この堀切の規模は凄まじく最大幅30mほどはあり、堀切はそのまま東西の谷下まで続いている。
山腹の曲輪は東西2つで西のIが主郭、東のIIが東郭でともに北背後に高土塁を備える。主郭と東郭の間は土塁と竪堀2があり、途中に廊下橋がかかっていた虎口が開口する。東郭は東側にも虎口が付いている。
南山腹は大規模な横堀と竪堀を備えており、案内板がついて現在の登山道となっているルートが大手であった。
「街道HOTELおたて(旧湯原小学校)を目指せばよい。東の入口をはいった所に駐車場があり、入口南側に案内板がある。登城口は校舎を奥に回り込んだ所にあり、ここにも案内板がある。