陸奥 横内城むつ よこうちじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではない。城主は堤氏で代々弾正を称していた。 堤氏は南部氏二十代南部信時の四男光康が堤弾正を称した事に始まるという。
天正13年(1585年)津軽為信は油川城を攻略して外ヶ浜一帯へ進出し、このとき横内城も落城したと云われる。しし、天正17(1589年)年には南部氏の支配下にあったので、実際には天正18年(1590年)に落城したと考えられている。
横内城は現在の常福院一帯に築かれていた。境内には堤弾正則景とその室朝日御前の墓がある。