詳細不明。野尻館のある野尻郷は建武2年(1335年)に黒石郷の工藤貞行の所領となり、その娘加伊寿御前が八戸南部氏の南部信政に嫁いで、野尻郷は南部氏の所領となった。延文5年(正平15年、1360年)には南部雅楽助の所領となっており、野尻館も南部氏関係の館と推測されている。
野尻館は横内小学校の西にある熊野神社一帯に築かれている。
熊野神社のあるところが西曲輪、その東の畑となっているのが東曲輪とされ周囲に堀が巡っている。東曲輪の状態は非常に良く、周囲より一段小高くなっているが、西曲輪は河川の改修のためか、曲輪としての形状はわからなくなっている。