永禄4年(1561年)葦名盛氏によって築かれた。 盛氏が隠居城として築いたもので、家督を盛興に譲った後、盛氏は一旦向羽黒山城へと移った。しかし、天正2年(1574年)盛興が26歳の若さで嗣子なく没すると、盛氏は盛興の正室(伊達氏)を自分の養女として、二階堂盛隆を養子に向かえて家督を継がせた。盛氏は後見人として黒川城へ再び移ることとなり廃城となったとされる。
しかしながら、現在の遺構は隠居城というには遙かに壮大で、また虎口などは非常に技巧的かつ規模が大きく、連続して存在するなど、蘆名氏の後に会津を領した、伊達、蒲生、上杉の各領主によって改修されたものと思われる。
向羽黒山城は阿賀川に面した標高408.6mの向羽黒山に築かれている。現在は国指定史跡として遊歩道が整備されてている。
向羽黒山城は巨大な山城で山頂の一の曲輪から北へ二の曲輪、三の曲輪などがあり、大手は北西麓の三日町である。整備されているのは一の曲輪から三の曲輪などで、北西山腹にある無数の曲輪群は大半が藪に埋もれている。しかし前回訪れたときより二の丸から三日町へ降る連続した虎口付近が見やすく整備されていた。
主郭の一の曲輪は山頂にあり、南西から北東に連なる。主郭北西下には横堀が巡り、北東下に枡形を備える。南西下には大堀切があり、東西両側に竪堀が山腹まで伸びている。
二の丸から三日町方面へ降りるルートが秀逸で、枡形や馬出し、ジグザグに降りて行く通路や巨大な竪堀と横堀の組み合わせなど、見所満載である。
会津本郷駅から県道219号線沿いに南下すると、会津本郷焼資料館がある。ここに向羽黒山城のパンフレットが置いてある。ここから車で山を登って行けば、途中いくつか駐車場があり、本丸下まで車で登ることができる。
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