築城年代は定かではないが永承元年(1045年)頃に安倍頼時によって築かれたと云われる。
安倍氏は頼時の時に最盛期を迎えていたが安倍貞任の時、朝廷と対立して源頼義の軍勢と戦った。前九年の役と呼ばれる戦いは康平5年(1062年)磐井川の戦いで安倍貞任は石坂柵を捨てて衣川へ逃げ、さらに鳥海柵・小松柵へと逃れた。安倍頼時は鳥海柵で流れ矢にあたって没した。
「衣川柵」の呼び名は安倍氏の後にこの地を支配した清原氏の時代のもので、安倍氏時代は柵と呼ぶほどの防御施設はなく、屋敷と政庁を兼ねたものだという。
現在畑となっている地に「並木屋敷」の案内板と石碑が建っている。