築城年代は定かではない。天文15年(1546年)森山飛騨守季定が城主であったとき、檜山安東氏によって攻められ落城した。
その後、深浦一帯が津軽領となったとき小野茶右衛門が森山に配置され茶右衛門館とも呼ばれたが、茶右衛門は二代津軽信牧のとき大間越奉行笹森勘解由によって誅伐された。
森山城は根滝川と平沢川の間を西へ伸びた丘陵が海に突き出すところに築かれていた。
『青森県の中世城館』では国道のトンネルの上の辺りを城域としているが、その辺りは散策しておらず、見張所とも云われる海に突き出した岩山の部分を見学した。この岩山の鞍部の部分に堀切があり、岩山の部分は狭いながらも段々に造成されている。
鞍部の下を潜るトンネルの南側に遊歩道の入口があり案内板が設置されている。
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