慶長5年(1600年)徳川家康の会津討伐に備えて上杉景勝が築いた防塁であった。
さらに慶応4年(1868年)明治新政府軍を迎え撃つために会津藩が防塁を再利用、改修した。この戦いでは旧幕府軍や新撰組と土佐藩、長州藩、薩摩藩らの新政府軍が戦ったが、わずか一日で突破された。
母成峠防塁は郡山市と猪苗代町との境にある母成峠に築かれている。
母成グリーンラインなどによって分断されているものの、約300mに及ぶ防塁が残されている。グリーンラインの北側に東西に続いているのが上杉時代の防塁で、切岸が高く堀幅も広くなっている。グリーンラインの南に南北に伸びているのが会津藩が追加した防塁で、土塁は低く塹壕があり、外は浅い堀となる。こちらは旧道と併走する形になっている。
母成峠に駐車場があり案内板が設置されている。