築城年代は定かではないが南北朝時代に鷲見氏によって築かれたと云われる。 鷲見氏は藤原家保の八男頼保が、天皇より美濃国山中に棲む大鷲を退治するよう命ぜられ、郡上郡雲ヶ嶽で見事退治し、鷲の子2羽を天覧した功により鷲見氏の姓を賜わり、鷲見郷を下賜されたという伝説がある。
平治の館で、南西の山上には詰城である鷲見城がある。
長良川の中州周辺は公園となっており、その駐車場が鷲見氏居館である。石垣の一部と的石が残っている。
国道156号線から集落内を走る県道452号線に入っていくと、鷲見城への道標があり、その終点にある駐車場が鷲見氏居館で、そこから中州への橋ではなく、南側の橋を渡って行くと鷲見城への登山口がある。
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