築城年代は定かではないが三浦忠近によって築かれたと云われる。
高田城主三浦貞明の次男忠近の居城で天文年間(1532年~1555年)に尼子氏によって攻められ落城、忠近は麓の石の上で自刃したと伝えられる。
麓城は国道181号線と県道447号線が交差する地点の北西側の山に築かれている。作業林道経由で主郭まで道がついているが、木々を伐採したためか荒れている。
主郭は南端山頂にあり、東西に長く、東下に二郭がある。北尾根は大規模な三重堀切で城内側が最も大きく、中央が一番小さい。
主郭と二郭との間はやや窪み、北側は竪堀状に伸びているが、南はそのまま帯曲輪につながっている。二郭の東下は作業林道が貫通しており、もとの地形は不明である。
東麓の県道側に登口があり、案内板がある。入口付近に駐車可能。