詳細不明。城主は保田氏で湯浅氏の一族とされる。
清水城は八幡小学校、清水寺、八幡神社のある台地の北背後の山に築かれている。現在の八幡小学校の辺りが居館推定地である。
主郭は最高所Iで第二次世界大戦のときに防空監視哨が置かれており改変されている。周辺には石積、列石が確認できるが、これらも改変のようである。
曲輪部分は改変が多いが、主郭Iから南の尾根先に向かってIIから三段の腰曲輪があり、その下は大きく削平されたIVがあり、その先にZ字状の堀切1で遮断してある。
主郭の北背後は曲輪IIIの下に堀切4、さらに下った鞍部の付近に堀切5を設けて遮断している。堀切4は東西両側に伸びる竪堀が二股に分岐している。
主郭の西側面には堀切3があり、その南側に畝状竪堀群2がある。竪堀群の南端の竪堀は起点が曲輪に近く、下は小学校のあたりまで伸びている。
八幡神社境内の東側にコンクリート舗装された道があり主郭まで山道が通じている。