築城年代は定かではないが弘治年間(1555年〜1558年)に三鬼新八郎によって築かれたと云われる。
新宮を拠点とした堀内氏善は勢力の拡大を計って三木城を攻め、三木新八郎は九鬼氏の援軍を得て追い払っていたが、やがて氏善は九鬼嘉隆の娘を妻に迎え三鬼氏は孤立する。天正3年(1575年)三木城は落城し新八郎は奈良県の上北山村へ逃れた。その後、長島城主加藤甚五郎に一旦は城を奪われたが奪還した。
三木城は三木小学校と南西に伸びた尾根の先端が小高くなった城山と呼ばれる丘陵一帯に築かれていた。
本丸と二の丸は三木小学校建設によって消滅し、現在残っている城山と呼ばれる所に案内板が建っている。
三木浦漁港、尾鷲三木浦簡易郵便局付近に道標がある。ここから少し北へ進み、小さな魚屋さんの前を右へ、龍泉寺の前を過ぎて階段を登って行くと左側に五輪塔がある。そこから左側へ登った先が三木小学校で、まっすぐ進んで右の民家脇の小道を登った所が城山。地図の位置は城山。
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