築城年代は定かではない。天文年間(1532年〜1555年)には武田氏の城として築かれていた。
甲斐国境に近い本栖には中道街道があり、それを押さえる要衝として本栖城がある。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると徳川氏に降った渡辺因獄祐が本栖城に籠もり、北条氏の侵入を防いでいる。
本栖城は烏帽子岳から東へ派生した標高1056mの城山に築かれている。現在は麓から登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり北、西、東にそれぞれ一段の曲輪を配している。曲輪には溶岩石を利用した石積が無数に点在している。東西に伸びた尾根は狭く岩盤が露出しているようなところもあるが、東尾根には三重堀切など堀切が点在、西尾根にも堀切を設けて遮断している。
城山の麓には中道街道が通っているが、南麓と北麓の両方に石塁の遺構があり、特に北側は「信玄築石」と呼ばれている。
南の石塁は西を内側とし、東と南にl字に石塁があり、内側は雁木状になる。北の信玄築石の方はもう少し複雑であるが、こちらも西を内側として築かれている。
国道139号線が城山の東尾根先を通る所に若干の駐車スペースがある(地図)。登山道は南側。