築城年代は定かではないが富永氏によって築かれたと云われる。 富永氏の居城である高谷城の支城として築かれ、水軍基地として利用されたと考えられている。
丸山城は北へ張り出した山塊に築かれていた。丸山スポーツ公園となっている辺りは当時は入江になっており、北西の出丸はそれを監視する位置にある。
丸山城は海に張り出した丘陵部分が「出丸」、南の山腹に「本城」、背後の最高所に「詰の曲輪」があったという。
出丸部分は公園となって整備され、北東隅が土塁で区画され社が祀られている。南西にある現在の国道付近に堀切があったとされ、そこから背後の山頂にある牛頭天王神社付近までが城域とされる。
本城は標高70m付近の東屋の所に案内板が設置されている。周囲は畑で石積は至る所にあり、城の遺構は判別できない。詰の曲輪はその背後の山頂付近だと思われるが、削平されておらず、その背後の堀切も道になっていて確認できない。
国道136号線沿いにある丸山スポーツ公園の駐車場に案内板がある。ここから出丸への遊歩道があり、さらに遊歩道から国道を渡って登っていくと本城の案内板が設置された東屋がある。