築城年代は定かではないが平安時代末期頃に宇佐美三郎左衛門尉祐茂によって築かれたと云われる。 宇佐美祐茂は伊東祐継の三男で、宇佐美に住んで宇佐美氏を称した。
宇佐美祐茂は源頼朝の挙兵に馳せ参じ、子の宇佐美平太実政とともに数々の戦功を挙げ、二十五臣の一人に数えられた。
この一族が上杉氏に従って越後国琵琶島城主となった宇佐美氏で、宇佐美定満が著名である。
宇佐美城は烏川の河口の北岸にある通称「留田の城山」と呼ばれる比高20m程の丘陵に築かれていた。
山上は広く東西80m、南北60m程の平地が拡がるが大きく改変されており、現在は土塁の残欠と空堀の一部が残るのみである。山上に上がる通路の入口にある駐車場には「宇佐美祐茂塁趾」の石碑が建っている。また西の山腹には石塔群が祀られているが宇佐美氏との関係は不明である。
国道135号線を伊東から熱海方面に北上すると城山の所から坂道となり大きくカーブして登っていく。石碑はこの国道から東の海岸線へ出る川沿いの道にあり、「宇佐美城山駐車場」の看板が目印である。
海岸線には「宇佐美江戸城石丁場遺跡」の案内板もあり、この辺りから江戸城へ石が切り出されていたという。
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