築城年代は定かではないが戦国時代に富永元保によって築かれたと云われる。 石見の富永氏は大伴氏で、二ツ山城主富永氏(出羽氏)の末裔という。尼子家臣で石見銀山から出雲への交通の要所であるこの地を治めた。
その後石見国へ侵攻した毛利元就に降り、永録13年(1570年)の尼子再興戦では毛利方として尼子再興軍の侵攻を食い止めたという。
この城の名称は単に「要害山城」であるが、島根県には要害山がたくさんあるので「山中要害山城」として紹介する。
城は重蔵山の山頂にあり、山頂部は公園となって整備されている。 主郭は山頂にあり、ここに東屋が建てられ案内板も設置されている。山頂からの眺望は絶品である。
登山道沿いに三の平、二の平の標柱があり平坦面が残る。主郭から南側へ降りて行くと石積が若干残る削平地があり、主郭の南から東側面を覆っている。そこからさらに南へ下った所にも削平地があり、そのまま下って行くと登山道の入口付近に出てきた。
富山小学校の前の県道284号線を北へ走って行くと左カーブの後に直進と右前方に分かれる道となる。この右前方への道の所に要害山の道標と案内板がある。やや細いがこの道を進んで行くと終点に登山口があり、この付近に駐車可能である。
最寄り駅(直線距離)