築城年代は定かではないが延文元年(1356年)以前には築かれていたようで、因幡に進出した赤松氏が景石城を手中にしたことが太平記に記されている。
城主は景石氏・用瀬氏と続いたが、天正8年(1580年)羽柴秀吉による鳥取城攻めのさいに羽柴軍が攻め落とし、家臣の磯部兵部大夫康氏(豊直とも)を城主とした。 しかし、磯部氏が若桜城におもむき留守の間に山名豊国に城を奪われてしまう。 天正9年(1581年)羽柴秀吉が再び鳥取城を攻めると、磯部康氏もおおいに戦功を挙げ、再び景石城主として三千石が与えられた。
関ヶ原合戦で磯部氏は西軍に属して改易となると、若桜城主山崎左馬允家盛の所領となり景石城にはその家臣が在城したが、元和元年(1615年)の一国一城令によって廃城となった。
景石城は標高508mの三角山の北西にある支峰の一つ標高325.1mの山頂に築かれている。
城山は急峻な地形であるが、山頂の主郭には石垣で固められ、西尾根に二の丸、三の丸を配しこの辺りの曲輪にも石垣を確認することができる。ただし全体的に曲輪の規模は小さい。
用瀬駅の東側から鳥取市役所支所を経て用瀬保育園の前の道を北へ進むと登山口の道標が出ており、終点に駐車場がある。
ここが一般的な登山口となっており、三の丸、二の丸を経て本丸にたどり着く。遊歩道はそのまま三角山の方に伸びており、それをたどると子持松ノ砦を通り、三角山の女人堂へと降りてくることができる。
最寄り駅(直線距離)