築城年代は治承元年(1177年)土持栄綱、永仁5年(1297年)土持国綱など諸説あるが定かではなく、確実なのは南北朝時代の土持栄宣以降と云われる。
縣土持氏初期の居城で、永享元年(1429年)土持全宣の時、西階城を築いて居城を移している。
城は大瀬川の南東岸にあり、大瀬川に沿った丘陵に築かれている。
現在、北側が公園となっているがほとんど整備されていないようで、草が伸び放題である。社の建つ曲輪が主郭と思われ、南西尾根伝いにいくつか曲輪が残っているが、笹が生い茂っているので途中までしか見ていない。
恒富中学校を目指す。中学校の西を南へ伸びる県道225号線沿いに登り口がある。
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