築城年代は定かではないが元弘年間(1331年〜1334年)頃に綾氏によって築かれたと云われる。綾氏は足利尊氏の家臣細川小四郎義門がこの地を領し、その子義遠が収納使として下向、綾氏を称した。綾氏ははじめ内屋敷城を築いて居館とし、後に詰城として綾城を築いたという。
綾氏は義遠以降、義勝、義廉、義郷、義佐、義範、義継、義義と八代続き、伊東氏に従った。その後は伊東氏48城の一つとなり、長倉若狭守、稲津越前守、佐土原遠江守が城主を務めたが、天正5年(1577年)伊東氏は島津氏によって日向を追われ、島津の所領となった。
島津氏の時代になると新納久時、上井秀秋、蒲生清宣、本田新平、新納久時、大野将監と城主が続き元和の一国一城令によって廃城となった。
綾城は綾北川と本庄川の間にある段丘の東端に築かれていた。東へ舌状に伸びた尾根を空堀で区画して連ねた縄張で、四つの曲輪があったという。
現在は「綾・国際クラフトの城」の敷地となっており、東端の曲輪に木造の模擬天守が建っている。模擬天守の他、土塁や空堀はそれなりに残っており、城門なども作られている。
天守(模擬 天守)
城門(模擬 城門)
無料の駐車場がある。