大永元年(1521年)宇久盛定によって築かれたと云われる。
宇久盛定は宇久氏十七代当主であるが、父囲は永正4年(1507年)に玉之浦納の反乱によって自刃に追い込まれ、盛定は幼少のときに平戸の松浦氏を頼って落ちていた。大永元年(1521年)元服した盛定は松浦氏の援軍を得て玉之浦納を討ち宇久氏を再興した。
宇久氏は盛定より江川城を居城として代々続くが、慶長19年(1614年)火災によって焼失、その後は石田陣屋を築いて移っている。
江川城は福江川の河口に築かれていた。遺構はなく、五島第一ホテルの脇に石碑があるほかは、明人堂(市史跡)や六角井(県史跡)などの史跡がわずかに残されているのみである。
明人堂は福江に来航して通商を求めた明人王直に対して、貿易を許可し居館として与えられた地の一角に祖先を祀る廟を建てたのが始まりと云われ、六角井は飲用水を得るために掘られたものという。