築城年代は定かではないが南北朝時代に築かれたのが始まりとされる。
文明17年(1485年)は岩城常隆によって攻められ落城し城主は討死した。その後は常隆の弟好間隆景が入り、車氏を称したという。
天正11年(1583年)佐竹義重によって攻め落とされ、車氏は佐竹氏に従う。関ヶ原合戦後に佐竹氏は秋田へ転封となるが、城主車斯忠はこれに従わずに水戸城奪還を企て失敗、捉えられ処刑された。
車城は北西から南東に細長く伸びた低丘陵に築かれており、現在は主郭に八幡神社が祀られ参道が整備されている。
主郭八幡神社境内で案内板が設置されている。南の曲輪IIとの間が堀切になるが、その堀底に井戸があるという。
主郭の北背後は大堀切で、北東尾根の堀切で遮断してある。主郭南端から東へ伸びた尾根先にも堀切が確認できる。
南麓に参道入口があり、道標も出ている。駐車場はないが川沿いの余白に駐める事はできる。
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