詳細不明。大矢野氏の城か。
打越城は鋸岳から西へ伸びた尾根の一つ、標高110mほどの山に築かれており、地元では「山ン城」と呼ばれている。
東端最高所を主郭とし、西に伸びた尾根に曲輪II、IIIを連ねる。曲輪I、IIの虎口は曲輪南端でいずれも石積補強されている。曲輪IIIの虎口は南側面の帯曲輪から谷筋の道へ続く虎口1と帯曲輪IVに続く虎口2の二ヶ所確認できる。
主郭の東端はやや高い土塁があり、東尾根は二重堀切1で遮断する。二重堀切の外側の堀は土橋を残し、やや幅広く削り込んでおり、内側はさらに深く堀込み竪堀として南に長く伸びている。北側面には不明瞭ながら連動する竪堀が一条確認できる。
曲輪IIIから北へ続く側面には中央で区画された帯曲輪がIVからXまで多段で続いている。後世開墾などによる影響があり、どこまで城の遺構か判断が難しいが、東端部に土塁が付いていたり、一部横堀状になっていたり、城の遺構と判断できそうな地形が確認できる。
曲輪IIIから南に伸びた尾根は現在の登山道が続いているところで、一部不明瞭であるが放射線状に畝状竪堀群4が確認できる。東端は自然の谷地形で、一部の長い竪堀は谷下まで続いている。
西側の県道沿いに電力施設があり、そこから細い道が内野河内城との間を通っている。この道を少し入った所に登り口の標柱がある。分岐付近に駐車可能。