築城年代は定かではない。 戦国時代の城主は帰雲城内ヶ島氏の家臣で山下氏勝であった。 大地震によって内ヶ島一族が滅亡すると、その後尾張国徳川氏に仕え、名古屋城築城の献策をしたという。
城は合掌造りの集落で世界遺産に登録された有名な観光地である白川郷にあり、庄川の東岸で西へ突き出した尾根の先端に築かれている。
いつもなら一人悠々と散策している城跡だが、着いてみると何故か観光客がわんさかといる。どうやら白川郷を望む展望台としてガイドブックに載っているようである。
城は尾根の東側を土塁と堀切で断って独立させている。堀切は南側が大手の虎口となり、この周辺の土塁に石積が残っている。南西隅部には櫓台があり、曲輪内には礎石が残っているが神社跡ではないかとのことである。
国道156号線から国道360線へ入り、山へ登っていくと右側に天守閣(レストラン)への案内があるので、その道標に従っていくと城跡まで車で行くことができる。