詳細不明。『飛州志』では城主を森大隅守とする。『飛騨軍艦』では天文年間(1532年~1555年)には生津信濃守が城主であったが、天文14年(1545年)に三木直頼に討ち取られたという。
森ヶ城は小八賀川南岸、標高830mほどの山に築かれている。
山頂の主郭Iを中心に西、北東、南の三方に曲輪を展開している。
主郭Iから西へ続く尾根に比較的広い曲輪II、IVが続いて堀切1で遮断する。北側にはつづら折れで下る山道が接続し、竪堀2の下方で消滅しているが、堀切と竪堀の間を登ってきており城路の可能性はある。
北東へ伸びる尾根は曲輪Vを起点に小規模な段曲輪が連なっているが先端に堀は見当たらない。
南へ伸びる尾根には東西二段の曲輪IIIがあり、その先に大規模な二重堀切3を設けて尾根を遮断している。ここから先は尾根が登っているが、その先にも二条の堀切5、6を設けている。
二重堀切3の西側面に畝状竪堀群4が確認できる。東側上部に短い竪土塁が三条並び、さらに西に二条の竪堀が設けられている。
北麓の国道沿いに石碑があり、そこから登るとフェンスの開口部がある。そのまま正面の谷筋を登る山道があるようだが荒れているので、西の尾根に取り付いて登るのが良い。
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