嘉永3年(1850年)松前崇広によって築かれた。 松前藩はもともと福山陣屋を構えて藩政を執っていたが、日米和親条約締結によって函館港を開港となると防備のため、松前藩は城持大名に格上げされ福山城の築城を開始した。
築城にあたっては長沼流軍学者市川一学が縄張し安政元年(1854年)完成した。
江戸幕府が崩壊すると、榎本武揚率いる旧幕府海軍が蝦夷地に幕臣による蝦夷共和国を設立するべく五稜郭を占領し、土方歳三率いる軍勢が福山城へ押し寄せこれを落とした。
廃藩置県によって城郭の大半は破却されたが天守・大手門などが残されていた。しかし昭和24年(1949年)火災によって天守は焼失、現在は大手門と本丸御殿の表門のみが現存している。
大手門(現存 櫓門)
本丸表御殿玄関(現存 御殿)
天守(復興 天守)
搦手ニノ門(復興 城門)