築城年代は定かではない。永禄2年(1559年)宗像大宮司氏貞は大友が支援する宗像鎮氏の侵攻を受けて大島へ逃れた。そして翌3年に毛利氏の支援を受けて再上陸し許斐岳城の奪還に成功した。
大島城は大島の南西にある標高164mの山に築かれている。山の西側は牧場で、南東側にある林道から登れるのではないかと行ってみたが、林道の入口で立ち入り禁止の看板があり、山腹も柵があって簡単に登れそうにないので遺構の確認はできていない。『福岡県の中近世城館跡』によれば山頂部に小さな削平地があり、一部列石、石積を伴っているという。