築城年代は定かではない。城主は下見氏で杉原氏の一族とされる。「鳶が丸城跡古図」には城主下見加賀守藤原職綱と記されている。
享徳年間(1452年~1455年)の頃の下見加賀守泰綱は山名是豊の被官で、文明年間(1469年~1487年)頃の下見高綱も守護山名氏の被官であった。
鳶が丸城は甲山変電所の東に聳える標高486mの山に築かれている。
主郭は山頂の曲輪Iで周囲に石積が確認できる。主郭Iから北西に続く尾根には曲輪IIからIVまで段差のある曲輪が続く。一方東尾根は高低差は少なく、曲輪Vがやや低く、東端の曲輪VIが一段高くなる。曲輪の南端部は一段低く武者走りになっている。
北西尾根先には二重堀切1があり、その先を下ったところに「鳶が丸城跡古図」で矢倉所とある曲輪群VIIがある。
南山腹には畝状竪堀群4があり、その下方に二段に削平された曲輪VIII、IXがある。これが「鳶が丸城跡古図」の勢溜に該当する。
堀切5は現状浅く山道が接続しており堀切なのか切通なのか判別が難しいが、「鳶が丸城跡古図」では此谷堀切とあるので堀切だったのだろう。この古図にも山道がこの堀切に接続している。
南の尾根側に鉄塔があり、その付近までは整備された山道があるが、その先は低木の茂った尾根が続く。鉄塔整備道の入口は西麓の民家の庭先から谷に入った所にあるので、ひと声かけて入るのがよい。ちなみに家の方は城があるのをご存知で昔登っていたというルートも教えていただいたが、それは谷の北側の支尾根を登って曲輪IXのあたりに上がっていたようである。
車は国道にPマークのある広い路肩があるので駐められる。
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