詳細不明。原田氏の居館という。
案内板によれば、原田氏は伊予河野氏の末裔で萩原郷へ移り住んだものと推測される。 天文24年(1555年)に祇園社を勧請した越智綱道とあり、原田備前守綱道は室町時代末期の人物である。
原田備前守土居屋敷は萩原多目的集会所の西約150m程の所に築かれている。 遺構は民家の西側に道路に面して南北に土塁が残っている。城郭大系によれば「背後に堀切・土塁・一族の墓地」とあり、堀切があるというが現状では確認できなかった。 一族の墓は土塁のある民家から北へ道路を渡った所にあり、畑の脇に「原田備前守綱道墓地」の案内板とともに多数の石塔が残されている。