山陽道に位置する周防国は、延喜式の格付けでは上国・遠国である。
周防国府は防府市国衙に置かれていた。この一帯には「朱雀」・「国衙」・「築地」など関係地名が残されており、一町単位に縦横に走る道も多く残されている。文治2年(1186年)周防国は東大寺の知行国となっていらい、国庁には東大寺が役人を派遣して政治を司り、近世に至っても東大寺領として「土居八町」が治外法権的な地位を確立していた。
江戸時代になると庁舎は東大寺の一支院となり、「国庁寺」となった。現在国衙跡に残る「国庁」の碑はこの国庁寺に仕えていた上司主税平重寛、武嶋完次平重勝によって建立されたものである。国庁寺は明治4年(1871年)に解体され、本尊の釈迦如来像と惣門は東大寺別院の花宮山阿弥陀寺に移されている。